Mar 18, 2010
教習所では、まとめて歩いたほうがいい
自動車免許を取得する際、教習所では時間の余裕があるときに通えば良いが基本的に座学的なタイムテーブルに合わせたり、実技の予約をする必要がある。教習所がすいている時間帯には柔軟性にも聞くに効率的ではない。予約などの面倒なことを望んだらと教習期間以外伸びてしまうので、最初に通う予定をある程度集中して設定してしまうのがいいだろう。合宿免許を取得して、検索時間を短縮することが可能とされたり、新しい友達ができ、とメリットは多い。しかし、現在はそのような合宿免許を取得したか、今そのような方法で取得している人のほうが運転技術が落ちているという部分もある。どのような方法で免許を取得しても、車を運転する人の生命に危険が生じるおそれがあるということは常に忘れてはいけないではないかと考察する。
イタリア『コッリエレ・デッロ・スポルト』が報じたところによると、インテルが来シーズンの補強に向け、レアル・マドリーDFペペに関心を抱いているようだ。同選手は現在、マドリーとの契約更改交渉が難航している。
報道によると、ペペは年俸450万ユーロをマドリーに求めているが、クラブに350万ユーロ以上の金額を出すつもりはないという。『コッリエレ』は、ペペがチームメートの一部に対し、交渉が難しくなっていると明かしたと伝えている。
マドリーのジョゼ・モウリーニョ監督はペペを高く評価しており、クラブとの契約延長が進まないことを快く思っていないと言われている。だが、同監督が古巣インテルへの放出を認めるのであれば、マドリーはインテルのオファーを受け入れるかもしれない。
ペペとの現在の契約は2012年までとなっている。そのため、フリートランスファーで失う恐れから、マドリーが売却に動くかもしれないというわけだ。インテルは1200万ユーロのオファーを準備していると言われるが…?
世界選手権(8月開幕、韓国・大邱)の代表選考会を兼ねた第66回びわ湖毎日マラソン大会(日本陸上競技連盟、毎日新聞社など主催、ケイ・オプティコム特別協賛)は6日、大津市の皇子山陸上競技場を発着点とする公認コースで始まった。日本選手は2時間9分30秒を切り、日本選手トップでフィニッシュすれば代表に内定する。
世界選手権代表にはアジア大会銀メダリストの北岡幸浩(NTN)のほか、東京マラソンで2時間8分37秒を記録した川内優輝(埼玉陸協)が既に内定。残る3枠を巡り、びわ湖は最終選考会となる。
国内招待選手では、09年世界選手権では補欠にとどまった高橋謙介(トヨタ自動車)が10回目のマラソンで初の代表切符を狙うほか、粘り強さが持ち味の林昌史(ヤクルト)、安定した走りの中本健太郎(安川電機)、前回7位の吉井賢(SUMCO)も好機をうかがう。一般選手でも、福岡5位で今回を「追試」と位置付ける今井正人(トヨタ自動車九州)が一発逆転を狙うほか、09年にびわ湖で新人賞に輝いた佐々木悟(旭化成)も好調。
このほか、海外招待選手では2時間4分台の記録を持つウィルソン・キプサング(ケニア)らが大会記録(2時間7分34秒)を更新できるかも注目。【田原和宏】
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【追跡! 佑ちゃん番外編】
2日のヤクルトとのオープン戦(札幌)でも2回を無失点と好投。開幕1軍とローテーション入りにまた一歩前進した日本ハムの新人、斎藤佑樹投手(22)=早大=だが、彼の故郷・群馬県出身のプロ野球投手といえばだれを思い浮かべるだろうか。昨年末、日本ハム入団が決まって間もない斎藤本人へその質問をぶつけると、3人の投手の名前を挙げてくれたが、中には意外な名前も含まれていた。(破夢太郎)
■今季メジャー挑戦の左腕
「まず正田(樹=いつき)さんですね」。斎藤は1999年の夏の甲子園で優勝し、春夏通じて初の全国制覇を群馬県へもたらした桐生一高の左腕エースの名を真っ先に口にした。
当時11歳の小学5年生だった斎藤ら地元の野球少年たちにとって、大会6試合をほとんど1人で投げ抜き、通算防御率0・85に抑え込んだ正田はまさに郷土の英雄であり、あこがれの存在だったに違いない。
正田はこの年秋のドラフトで日本ハムの1位指名を受けて入団しており、プロでも斎藤の先輩にあたる。3年目の2002年5月のダイエー(現ソフトバンク)戦で初勝利を完投で飾ると、この年9勝をマークし、新人王に輝いた。
07年に阪神へ移籍後は1軍登板はなく、08年オフに戦力外となると、10年まで2年間は台湾プロ野球の興農ブルズでプレー。今季は松坂大輔の所属する米大リーグのレッドソックスとマイナー契約を結び、メジャーを目指すことになっている。
■西武の元エースで現監督
「渡辺(久信)監督ですね」。斎藤は前橋工高出身で、同じパ・リーグの西武を率いる指揮官の名も当然のように挙げた。
1983年のドラフト1位入団。2年目の85年、抑えに抜擢(ばってき)されて8勝11セーブと頭角を現すと、86年に16勝で最多勝、勝率の二冠を獲得。以後、88年と90年にも最多勝に輝き、左腕の工藤公康とともに西武黄金時代の投手陣を支える両輪となった。
一方で当時のプロ野球選手には珍しく、ファッションにも気遣いを見せ、球界の「新人類」とも呼ばれた。
98年にヤクルトへ移籍し、同年オフにいったん現役引退が発表されたが、撤回。台湾プロ野球で3年間、選手兼コーチを務め、指導者としての基礎を学んだ。その後、古巣・西武の2軍投手コーチ、2軍監督を経て08年に監督就任。1年目からリーグ優勝、日本一を成し遂げたのは記憶に新しいところだ。
昨秋のドラフトでは斎藤の早大の同僚で、6球団の1位指名が競合した150キロ右腕、大石達也を自ら抽選で引き当てて獲得し、今季は3年ぶりのV奪回に燃える。
■伝説の「8時半の男」の名も
「宮田(征典)さんですね」。斎藤がしばらく考えたあと、口にした3人目は意外な投手の名前だった。1962年に巨人へ入団。9連覇がスタートした65年、20勝をマークして優勝に貢献したが、うち19勝が救援勝利という日本の抑え投手の草分け的存在だった。
当時、ナイターは午後7時開始だったが、終盤になると、快投を演じた右腕へマスコミはマウンドへ上がるときの時計の針に合わせて「8時半の男」の異名を与えた。救援起用は心臓疾患で長いイニングを投げられない宮田を生かすための、当時の川上哲治監督の苦肉の策だったというエピソードも残る。
引退後は各球団で投手コーチを務め、巨人では桑田真澄や斎藤雅樹、西武では渡辺や工藤、中日では川上憲伸といった実力派の投手を育てた。2006年、肝不全のため死去。享年66。
1988年生まれの斎藤が、なぜ宮田の名を知っていたのか。ごく近しい人物が解説する。「地元の野球指導者らに聞いたのではないか。宮田さんは進学校で知られる前橋高の出身。彼(斎藤)も目指すところが文武両道だし、コーチとして多くの投手を育てた実績も含めて尊敬しているのだと思う」
これら斎藤の挙げた上州生まれの3投手に、戦力外通告や疾患といった逆境を不屈の精神で乗り越えてきた共通点があるのは偶然だろうか。
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